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「達観」の意味と使い方・例文・「諦観」「開眼」「諦め」との違いは?現役記者がサクッと解説!

「達観」(読み方:「たっかん」)という言葉は、「~を達観する」という形でよく用いられています。

とはいえ、この言葉は具体的にどのようなことを表しているのか、また近い意味のある「諦観」「開眼」「諦め」とどのような違いがあるのかという疑問を抱くこともあるかもしれません。

そこで、ここでは「達観」の意味と使い方、また「諦観」「開眼」「諦め」との違いについて、科学・技術系記事の執筆を中心に活躍する筆者が解説していきます。

「達観」の意味と使い方・例文

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それでは、始めに「達観」の意味と使い方、また「諦観」「開眼」「諦め」との違いを説明していきます。

「達観」の意味は?

まず、「達観」には「広く全体を見通すこと」「物事の真理を悟ること、超然とした心境に達すること」という意味があり、「広い視野で物事全体の成り行きを見通すこと」「物事にこだわらず、悟りの心境に達すること」を表します。

また、「達観」は「行き着く」を意味する「達」と仏教用語で「悟る」を意味する「観」から「悟りに行き着く」となり、上記の意味につながったのではないかと考えられます。

「達観」の使い方は?

次に、「達観」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いることができます。

「若い時分より辛苦をなめ人生経験が豊富な彼は、若くして達観しているように感じられた」

「転職を考えていることを職場の先輩に打ち明けたところ、この業界は転職しても条件や環境にはあまり大差がないと達観したように言われた」

「時勢を達観して、年金制度は当てにせず貯金に励むことにしている」

「彼は若いのに何事もこんなものだと達観したような素振りがある」

「男は人生を達観してしまったような、老成した感じがあった」

「うちの子供は、時おり妙に達観したようなことを口にする」

「彼女は逆境の中で育ってきたためか人生を達観しているところがある」

「相変わらず親からはどこか達観したような目でみられる」

「達観」の類似表現は?

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それでは次は、「達観」の類似表現である「諦観(ていかん)」「開眼(かんがん)」「諦め」について見ていきます。

「諦観」の意味と使い方は?「達観」との違いは?

まず、「諦観」は「悟り諦めてこだわらないこと」を意味し、例えば以下のように用いることができます。

「彼は木々のとぎれた岩場に身を置き、ここが死に場所と諦観していた」

「僕がいつ辞めても仕方がないと、人事部は諦観していた理由も分かった」

「その行動は死を避けられない人間の諦観からくるのだ」

「田舎で趣味の土いじりをしてるだけなんて、若者にしては諦観的に過ぎる」

「彼はしばらく不運な出来事が重なっていたが、最近ではこれも運命と諦観するようになった」

「冷戦時のアメリカ社会には核戦争への予感から未来に対する宿命論的な諦観が広まっていた」

このように「諦観」は、「達観」と同様「物事にこだわらず、悟りの心境に至ること」を意味していますが、「何かを諦めている」「何ものにも醒めている」といった意味を含む点で、「達観」とは微妙にニュアンスが異なります。

「開眼」の意味と使い方は?「達観」との違いは?

続いて、「開眼」は「物事の道理や真理がはっきり理解できるようになること」を意味し、例えば以下のように用いることができます。

「ビートルズを初めて聞いたそのときに、僕はロックに開眼した」

「自分を開眼させる強い決め手が欲しかった」

「松陰はその数十冊の稀覯本によって世界史に開眼させられたのだ」

「デカルトは私の自然に対する見方を開眼してくれた」

「工事は未完のまま大仏の開眼供養の日を迎えることに」

「日本とインドの僧侶およそ二十数名により開眼法要が行われた」

このように、「開眼」と「達観」は「物事の真理を悟る」という共通の意味を含みますが、「達観」は「超然とした心境に達すること」が本質的な意味ですので、「開眼」と「達観」には明確なニュアンスの違いがあります

また、最後とその前の例文にあるように、「開眼」は「新作の仏像等を供養し、眼を描き入れて魂を迎え入れること」を表すこともありますので、念頭に置いておきましょう。

「諦め」の意味と使い方は?「達観」との違いは?

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そして、「諦め」は「希望や見込みがないとして、断念すること。思い切ること」を意味し、例えば以下のように用いることができます。

「身長が思いの外伸びたことで、騎手の夢を諦める事になった」

「高校生のとき金銭的な理由からプロゴルファーの夢を諦めた」

「将来性を鑑みて米国移住は諦め、商社勤務を続けている」

「フリーランスの翻訳家を目指していたが、周囲の反対のために諦めざるを得なかった」

「結婚については、もう親も諦めムードみたいだ」

「プロジェクトは順調とは言い難いが、ここで諦めるのはまだ早い」

このように、「諦め」は「何かを断念する、仕方がないとしてその状況を受け入れること」を表していますが、「達観」の意味にあるような「何かを悟って」といった意味は含まれない点で「達観」とはニュアンスが異なります。

「達観」「諦観」「開眼」は共通に「何かを悟り」、「達観」は「悟りの心境に達し」「諦観」は「諦める」

以上、「達観」の意味と使い方、「諦観」「開眼」「諦め」との違いについてまとめました。

「達観」は「広く物事を見通すこと」「物事にとらわれず、悟りの心境に達すること」を表します。

それに対して、「諦観」は「悟り諦めて超然とする」「諦め」は「物事を断念する、諦める」ことを表し、文字の通りどちらも諦めるというニュアンスが含まれる点で「達観」とは異なると考えられるでしょう。

一方、「開眼」は「物事の真理や本質を悟ったり、こつをつかんだりすること」を表し、「超然とした心境に達すること」が本質的な意味である「達観」とは明確なニュアンスの違いがあります

それぞれ微妙に異なる意味があるため、意識して使い分けるようにすると良いでしょう。

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KHajime